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第63話:影

作:ふぁんさん


-From 62-
「なるほど。素晴らしい」
辺りに引火していく炎の爆ぜる音の中、手のひらが打ち合う乾いた音がはっきりと鳴り響く。
新たな人影を視界の端で捉えたとき、愚者皇は既に行動を開始している。
刃状に変化した左腕を脇に引き寄せ、右軸足、腿、腰と意識しつつ捻りを加えていく。瞬間、相手に背中を見せるまでに左腕を振り抜く。その間、瞬き一つ分の時間だった。
肉に触手が埋まる湿った音とともに、その影の背後の壁が崩壊した。敵手は衝撃で吹き飛ばされたのだろう・・・・・愚者皇が身体を向けたときには、すでに崩落した白壁の残骸と、土煙が見えるだけだった。
「“騎士団”とやらも、大したことはない・・・・・」
呟き、地に伏すアリシアの姿を追い求めた。
「・・・・・どこだ?」
戦闘に集中していたとはいえ、彼女のことを失念するとは。
土煙がやんわりとその範囲を広げていく中で、愚者皇は周囲を警戒しながらアリシアの姿を探す・・・・・冷笑が浴びせられたのは、そのときだ。
「なにをお探しかね?」
耳元に息を吹きかけられたような感覚で、体中が総毛立った。
振り向いた先には誰もいない。土煙が視界を満たしていくだけだ。
気のせいだろうか?
そう思い、気を取り直して視線を戻した先。
一人の男が佇んでいた。土煙のせいで男の輪郭のみがわかる。顔は見えなかった。
またもや手のひらを打つ、乾いた音が鳴り響く。間違いない、その男からだ。
「・・・・・誰だ」
低く、唸るような声で愚者皇は尋ねた。
「ほう?誰だ、と来るか、愚者皇君」
僅かに進み出た男の顔が、ようやくはっきり見えた。
「騒ぎがするから帰ってみれば、なんたるザマだ。影武者も所詮は影、ということか」
「き、貴様!今確かに・・・・・」
現れた男は、先ほど倒したはずのオルハ・マルア・フォン・ウェーバーその人だった。蒼髪の下の整った顔立ち。髪と同色の、深海とような瞳。間違いない。
「人の話をきちんと聞くべきだな、短生種。影だと言っただろう?わざわざこちらの膝元に来ていただくんだ。ある程度の損害は予測しないとね・・・・・なに、材料には困らんよ?この街はもう死んでいる。いくらでも実験体はあるし、継ぎ接ぎもし放題、というわけさ」
「人を・・・・・人を解体したのか!?それも、偽りの生まで与えて!」
愚者皇は怒りのままに言葉を吐き出す。対するオルハは、あくまでも冷静で、そして残酷だった。
「偽りの生とは心外だな。私は生など与えていない・・・・・それに、短生種がどうなろうと、私は一向に構わない。短生種とてそうだろう?ダニがどう死のうが、むしろ減ることを喜ぶ」
「アリシアも?まさか、アリシアまでも・・・・・!?」
「さて、どうかな・・・・・君がさっき串刺しにしてくれたから、生きているかどうかは知らないがな」
「オルハ・・・・・まさか貴様、彼女を楯に?」
「まさか。この私が脆弱な短生種を楯にしても意味ないだろう?ただ、背後で拍手はさせていただいたがね。君はイマイチ、彼女の身体が現在は我ら“騎士団”の管理下にあることを忘れているようだ」
くつくつと漏れるオルハの笑みに、愚者皇の顔が途端に青ざめた。
俺が彼女を刺した・・・・・?
ただ刺したわけではない。力の限り、間接の稼働域が許す限りの捻りを加えた、全力の突きだ。短生種の身体など、当たり所によっては身体すら弾け飛ぶ威力はあるだろう。自分の力は、魔神と融合すればそれほどにもなる。
だからこそ。
愚者皇は駆けだしていた。なりふりなど構ってはいられない。崩れた白壁の向こう、傷つき、倒れ、いましも死に瀕しているであろう娘のところへ。
だが、辿り着くことはできなかった。
「遅いな。ひどく緩慢な動きだよ、愚者皇君」
音もなく悠然と目の前に降り立ったのは、もう後方だと思っていたオルハだ。どこか瓢々とした態度を崩さず、また胸の前にもちあげた右の掌には青白い炎を現出させていた。
「影ごときの使う“加速”など、同族や私と比べればモドキに等しく、劣っている。火炎もまた然り。弾け飛べばそれで消えてしまう、私の炎はそんなチャチな代物ではない・・・・・それを、思い出させてあげるよ、愚者皇君」
「や、やめろ・・・・・やめてくれッ!」
その言葉に、オルハの口元がつり上がった。直後。
右腕をさもなんでもないように振り下ろす。だが、そのさきには・・・・・
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
走る速度よりも炎は疾く、そして伸ばした腕よりも遠くへと飛んでいく。
「・・・・・なんてね」
低い言葉と共に、オルハの人差し指が微かに上を向く。そして、火球は倒れてぴくりとも動かぬアリシアの頭上を掠め、背後の壁へと激突。ナパームの炎をまき散らした。
「な・・・・・なに・・・・・?」
なぜだ?
アリシアの安否よりも先に、そんな疑問が浮かぶ。
“渇き”のせいか?いや、違う。なにかこう、はっきりとしない疑念が・・・・・
眼下には血溜まりに伏す少女がいる。右肩から腕にかけて千切れんばかりの大きな貫通痕と多量の出血、二の腕の中間がありえぬ方向へ変形してしまっていることを除けば、その顔はよく見知ったアリシアのものだ。
だがしかし、彼に、いや、“彼ら”にとって、この少女の命の価値は、いったい?
「“どういうつもりだ”、とでも言いたげだな」
あいもかわらず、オルハは冷笑を浮かべた。
「そんな小娘一人、“我ら”にとって関知しない。そう、セプテリオスを埋め込んだというのは偽りだよ、短生種・・・・・全ては閣下の読み通りだ」
「読み通り・・・・・だと?」
「そう。すなわち・・・・・」
瞬間、オルハの輪郭がぶれた。
「君の損耗こそが、初めから狙いだったのさ」
耳元で声が聞こえたとき、愚者皇は背後を振り返る愚をおかさなかった。反射的に上体を前倒しにしてアリシアに覆い被さっていなければ、横一文字に旋回した鈎爪によって彼の頭部はザクロのように弾けていたに違いない。
避けながら、愚者皇は愕然と悟った。
自分だけならまだしも、傷ついたアリシアを抱えてここを脱出できるのか・・・・・!?
最前のナパームの炎によって既に愚者皇とアリシアの周囲は炎熱で囲まれていた。影武者であったオルハの放った炎によって屋敷全体が炎に包まれようとしている。白い塗壁は煤と炎にまみれて黒く変色し、なおもその猛火に晒されている。崩れ落ちるのも時間の問題だろう。
愚者皇の顔色はひどく悪かった。魔力の使いすぎ、また“渇き”の衝動によって肉体の限界を越えた力の行使により、視界が狭まっていく。身体が重い。思うように動かない。
「君の肉体は数度に渡る長期の手術と、属性の合わぬ魔石の混同で全力で戦える時間がひどく短い。せいぜいもって三、四分といったところだ。その後は糸が切れたように深い睡眠状態に陥ることも・・・・・その程度のことは事前に検証済みなのだよ。実験体05」
「がッ!」
オルハは愚者皇の背中を無慈悲に踏みつけた。肺の中の空気が全て絞り出され、一瞬呼吸困難に陥る。
「まだ寝てはいけないよ・・・・・この程度でよろしいですかな。“毒竜の王”」
「ええ・・・・・まあ、05にしてはよくできました、と誉めてあげるべきところだね」
不意に、炎の揺らめきの中から人影が現れた。それと共に“フレイム・タン”は愚者皇から足を退け、一歩後ろへ下がり畏まる。
「う・・・・・あ・・・・・」
震える唇は辛うじて喘ぎを出すに止まった。
なぜだろう。急に四肢に力が入らなくなっていく。まるで身体の上に何か巨大なものが乗っているかのようにぴくりとも動かない。
ただ声の聞こえる方へ難儀しながら顔をようやく向けた。狭まる視界の向こうに佇んでいるのは、“医師”を示す長いくちばしのような鼻の仮面を被った男だ。声からすれば若いのだろう。ウェーブした茶髪の下で理知的な笑みを浮かべている。
「外の首尾も上々に終わっているようでね。どうにも使い勝手の悪い動死体でも、たまには役に立つ」
「足止めには都合のいい連中ですから」
「その通り。さて・・・・・久しぶりだね実験体05。といっても、今の君にはその記憶はないとは思うが」
「だ・・・・・れ・・・・・」
その声はもう発音されていないに等しい。しかし、その途切れ途切れの言葉を、“毒竜の王”は辛抱強く聞き取った。
「ふむ。まだ意識があること自体に驚きを隠せないね・・・・・我らの実験では、君の力の解放後の活動時間は約三分。それ以後は意識が失われていたはずなのだが」
仮面の男が微かに下に視線を泳がせたとき、その口元には微かに笑みが浮かんだ。
「なるほど。人の執念・・・・・なるほど」
感心したように頷きながら、オルハに向けて軽く手を振った。
撤退の合図だ。
「ここはもう終わりだよ。その娘と仲良く蒸し焼きになりたければこのままいるがいい。運が良ければまた“我ら”とも会うこともあろう」
仮面の男の背後では、火炎魔人たるオルハが“毒竜の王”のために炎の道を切り開く。それはあたかもモーゼの十戒のように、背丈を優に超える炎の海が割れた。熱でささくれだった白壁が脆くも崩壊。微かに外の景色が見える。
「私も忙しいのでね。これで失礼させてもらうよ・・・・・それではごきげんよう」
声は確かに聞こえた。
既に襲い来る炎熱も、怒りに駆り立てる心すらも、微睡みの中へと薄れていく。消えていく。
少女をなぜ守ろうとしたのだろう?
そもそも、この子の名前は・・・・・
愚者皇の意識は、そこで途絶えた。


「・・・・・これで終わりですかな」
熱に漆喰の壁が耐えられなくなったらしい。断続的に木材やら石材やらが崩壊する音が響き、最後に一度、とてつもない質量が大地に落ちた重低音と振動が辺り一面に響き渡った。
オルハの顔にはそれを誇る色はない。ただ一つの作業をこなした・・・・・その程度のものだ。
一方、蒼髪の長生種の言葉に軽く肩を竦めて見せた“毒竜の王”もまた、事実のみを注視していた。
「さてね。彼は悪運は強い方だからね・・・・・どうやら、彼のご友人達はここを突破したらしい」
彼の視線の先、無数に横たわり、腐敗臭をまき散らしているのはヴィエナの住民だった者たちだ。老若男女関わらず、眼窩は窪み、皮膚はそげ落ち、ところどころ骨が露出している。にも関わらず、茶髪の男が見ていたものは、そんなものではない。より凄惨なものだ。
「見たまえ。この切り口を」
手近な遺体へと近づくその口振りは畏れは決して抱いていない。ただ、微かに感嘆の色を含んでいる。
それは胴体を輪切りに寸断された若い女性の遺体だ。他の遺体と同様、こときれて一週間は経つ。
「見た限り、内臓の位置がほとんど変わっていない。皮膚、筋肉共にまるで細胞単位で千切れたようにも見える。多少零れているが、倒れたときの衝撃だろう・・・・・これは見事な剣速だね」
「は。確かヤマトの侍が一人・・・・・拓ノ心、とか申す者がおります。その者の手口では?」
「侍か。確かに、ヤツらなら頷ける」
簡単な実況検分を済ませた長生種は立ち上がった。
「ときに、このオペラツィオンと同時に発動したもう一つのオペラツィオン、君は確か参加予定だったかね」
「は・・・・・意外にこちらが早く片づいたので、すぐにでも発ちます」
「そうかね。それにしてもこのオペラツィオン、些か腑に落ちない。“あの方”の作戦にしてはどうも強引さがある。そう思わないかね、“フレイム・タン”?」
「・・・・・なにかしら、圧力があったと考えます。なにせ相手は陛下子飼いの将ですから」
「その通りやもしれぬ。まあ、確かに相手をコピーできるというのは便利な能力ではあるがな・・・・・愚者皇の懐に踏み込めるのだ。考えられる上では最善の手だてではある」
考えても詮無きこと、と心中でつけたした仮面の男は誰に言うでもなく、独りごちた。
「“我ら、炎によりて世界を更新せん”・・・・・05は生き残る。邪神王陛下の将とも彼らは合流を果たした。且つ、アリシアは我ら“騎士団”の手にある。踊れ踊れ、愚かなサルども。“我が君”の振るうタクトに合わせて、な」

-To =闇よりの使徒=《支配の章 A魔帝狂襲》-

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