作:ファンファンさん
司令本部を移した旧アラニア王城・グレインホールド改めウィンザー城では、連日の兵宿舎の増設や街の再開発で昼夜問わずにぎわいがあった。中でも物資を貯蔵する倉庫街の建設と街の警備には、常駐軍六〇〇〇のうちの過半を割いて行っていた。
そんな中、夜の公園は返って閑散としていた。街の外れを選んだこともあり、人気など夕刻から消えて久しい。夜の九時を回った現在では閉園になっているのが通例だ。
だがしかし、そんな中にも関わらず、彼らはそこにいた。
「・・・・・“沈黙の声”作戦は一応の成功裏に終わりました。ウィレムが教皇庁にリークしようとした書類は全て回収の上で、あの街を“破棄”した次第です」
口火を切ったのは喪服のようなダークスーツを着こなした男だ。腰までもある長い髪を微かに揺らして、細葉巻から紫煙を燻らせている。
「サン・ラテラノ壊滅の報は受けている。鐘の仕掛けは残していないだろうな?」
「はい。試運転での課題もいろいろ見つかりました。効果範囲の絞り込み、また威力などを微調整をさせておりますが、例の計画には間に合うでしょう・・・・・ときに、サン・ラテラノと申せば、我が君」
「なんだ?」
「よろしいのですか?タッカン神父は、我が君が亡くなったと思われておいでのようですが。先日の会敵の際、大変なお怒り様でした」
「ふむ・・・・・」
銀髪の下、ファンの眉が珍しく歪む。
「・・・・・手紙でも出すか。ウィレムの屋敷には結局行っていないが・・・・・手配はできるか?」
「なんなりと。ウィレムに送ったもののなかで、我らのことに関する記述は一切ございません」
「では教会の改装記録でも送るとしよう。連絡は任せる、ケンプファー・・・・・ああ、そうそう、それともう一つ、用件があるのを忘れていた」
「なんでございましょう?」
長い黒髪を揺らした“魔術師”は恭しく顔を上げた。一方、ファンの声には深刻さの欠片もない。
明日の予定でも話題にするような気安さで続ける。
「“ダンディライオン”はまだ使ってはならんぞ」
「心得ておりますれば、代理の者を用意しております・・・・・ご安心を」
「人事については好きにするがいい。それと、バルタザールも後方援護にいれる」
「ほう。バルタザール卿が」
意外そうな響きを含んだ声が発せられたときですらも、その死んだ魚のような瞳は一切の感情をも有していなかった。
「わかりました。必ずや御心に添える成果を挙げてご覧に入れます」
「吉報を待つ。それではな・・・・・私にも、すべきことがある」
ケンプファーの表情は変わらない。しかし、主が頷いたとき、微かな、本当にごく微量の笑みをもって返礼していた。
「化膿はしていないな・・・・・それにしても、左腕が酷ぇな。このままじゃ使い物にならねえ」
黒い髪をうなじで束ねた男は、広げていた医療器具を再びザックにしまい込んだ。医者の不養生とはよく言ったもので、恐らく何日も洗っていないだろう蕩髪を大きな手でぼりぼりと掻きながら、白衣のポケットにもう片方の手を突っ込んむ。
「こりゃしばらく安静だな。一にも二にも。たまには休んだらどうだ?嬢ちゃんだって、昨日お前さんを待ってて風邪ひいちまったんだからよ」
「・・・・・すまない・・・・・酒がかなり来ているようで」
垂れた白髪の下の整った顔は、このときばかりは青くなっていた。
つい五分ほど前も、レオンの肩を借りてトイレへもどしに行ったばかりだ。
「かまわねえよ。それよか、とっとと治してこんな街出ようぜ・・・・・ったく、戦時中だからって、ちとインフレすぎらあ」
白衣の袖をまくり上げて見える浅黒い肌は鍛え上げられた筋肉質の太腕だった。そこらの騎士たち相手でも決してひけはとらないだろう巨漢だが、金銭面に関してはとことんうるさい。
「だいたい、卵一パックで四百三十イェンてなんだよ?横に並んでる肉の方が安いたあどういう了見だっつうんだ・・・・・なんだよ?」
静けさに気がついたのか、レオンは口を止めた。視線の先、愚者皇が鋭い視線で入り口を見ているのだ。
「ああん?」
不審げにレオンが眉をひそめたとき。
不意に、軽いノックの音が二度響く。
「あの、主人のモレッティですが」
途端に張りつめていた緊張の糸がぷっつりと切れた。疲れたような深い溜息とともに、レオンは勢いよく扉を開ける。
「何か用か、ああん?」
無駄な気遣いさせやがって・・・・・怒りがふつふつと沸くのを押さえるだけで、彼にとっては既に重労働の域に達していた。
「いえ、あの・・・・・お連れ様が・・・・・」
現れた巨漢の威圧と口調に縮こまりながら、この宿の主人ルチアーノ・モレッティは懸命に言葉を紡ぐ。
「お連れ様がお見えです・・・・・その、拓ノ心とおっしゃる方で」
「ああ?知らねえよ・・・・・帰れと伝えろ」
「どうしてもと・・・・・よろしいんですか?」
しつこい・・・・・!
懸命に取り次ぎをしようと行う主人に、レオンは追い返そうと声を荒げた。
「いい!こっちにゃ怪我人と病人がいて、話す舌なんざもたねえんだよ」
「それはつれないでござるなあ」
主人の脇からひょいと現れた影に、レオンの眉はより一層険しく跳ね上がる。
「誰だ、てめぇは」
「拙者、拓ノ心でござる。ほれ、そこの」
現れた男は、目ざとく窓脇のベッドで様子を伺っていた愚者皇の姿に指を指した。
「そこの男の知人でござるよ」
拓ノ心、と名乗った男は明らかに異国の風体をしていた。紺の着流しの着物を着た男など、有り体に言って珍しい。外を歩くときもよほど目立っていたのか、下の階が少しざわついていた。
宿屋の主人が用心がって直接部屋に呼びに来たことも頷ける男だ。腰に帯びた大小もまた、見慣れぬ武器である。
主人を押しのけ、部屋に入ろうとしたところでレオンは腕を伸ばして静止した。
「待ちな。他人の部屋に入るとき、そんなものを持ち込むのがお前さんの国の礼儀かね?」
「ん?おっと」
拓ノ心はわざとらしく長い方の得物を抜くと、主人に預けた。
「持っておくでござる。下手に抜くと、斬るでござるよ?」
軽い冗談のつもりか、笑みすら浮かべて言う拓ノ心の目は、笑っていなかった。そんな微かな恫喝に屈し、主人・モレッティはまるで彫像のように動かなくなる。
「これでよいでござろう?」
訝しがるレオンの脇を飄々と抜けた男は、後ろ手に持っていた大きな徳利をベッド脇のテーブルへと置く。
「さあさ、飲もうでござる。これだけでは充分とはいかないが・・・・・いやいや、朝だということで、これで勘弁してくだされ」
珍しく辟易した様子で相手を迎える愚者皇の様子に、レオンも毒気を抜かれたように脇の椅子に座る。
あいつ、酒は苦手みてえだな・・・・・
レオンは目を細めながら、異国の男の手酌で飲む、青い顔の愚者皇を眺め見ていた。