作:ファンファンさん
椰子が生い茂る野外レストランからは、旧アルメリア教国首都サン・ラテラノを一望できた。
ひっきりなしに馬車が通る市街地に、溢れんばかりにそこを歩く人々。石の迷宮のような旧市街区に聳えるのは、サン・ラテラノ司教座が置かれていたアルメリア大聖堂だ。
そして買い物を楽しむ市民でにぎわう目抜き通り・・・・丘の上の公園から見下ろすドルフ帝国の南西に位置するサン・ラテラノの午後は、一見すれば平和であった。
「で結局、ここの警察や軍の調査では爆発物は見つからなかったそうなんだが・・・・・聞いてるのか?タッカン」
「もちろん聞いておりますとも、ブラザー・ユーグ」
報告書の束から顔を上げた碧眼の青年に対し、タッカンは真顔て頷いてみせた。その表情は真剣そのもの、瞳には真摯な心が溢れている。
だが手元すらも見ずに牛肉を切り分け、口に運ぶ様子ではいささか真剣であると見るには厳しい。加えて、すでに彼の横には平らげた後の大皿が既に四枚重なっていた。
「・・・・・お前、本当にやる気があるのか?」
「うふふ。なにせ、久々にまともな経費つきの出張ですからね。食べ貯めしとけば、向こうに帰っても四日は保ちます。なあに、これを頭の中で想像すれば十日くらいは・・・・・」
耐え切れぬ頭痛をあえて耐えようと額に手を置くうち、無理だとユーグと呼ばれた青年は思い当たった。
「アベル、私がここに来るまでにどれだけスケジュール合わせを綿密にしたか、お前、わかっているのか?」
「・・・・・じゃあ、私の分の肉、一口差し上げますよ」
「いらん」
「じゃあ遠慮なくわたくしの胃の中に収めますね」
さらに溜息をつくユーグを見ながら、
「いやでもホント、今回の捜査協力は大変ありがたいですよファンファン」
「いまはユーグだ」
「はい、ユーグさん。私もアベルでよろしく」
「・・・・・ああ」
互いが互いの本名を知っているのに、共にコードネームで呼び合うのはおかしな話だと思う。ともかく、これ以上話すと余計疲れそうだ。
ユーグ=ファンは本題を切り出す。
「お前さん方の追跡対象のことだが、恐らくもう死んでいる」
「・・・・・やはり、あの倒壊した駅の中に?」
「ああ」
ユーグの持つドルフ帝国の朝刊の見出しには、踊るような文体で「またも市内で倒壊事故。建設会社の不備が原因か?」と書かれていた。
「名前は・・・・・確か、ウィレムとか言ったか。相当なワルだったんだろう?」
「現時点で十七件の殺人罪が確定しています。いずれにせよ、死刑は免れないはずでした」
テーブルの向こうまで聞こえないよう小さく溜息をつくと、タッカンはなるたけ自然に話題を変えた。
「それで、デパートの復旧は?駐屯軍やら消防やら徹夜で救出活動をしてるって聞きましたけど?」
「まだまだだな。見た限り一週間は・・・・・いや、瓦礫除去を考えるならあと一月はかかるかもしれん。なにせ、天井から柱から、きれいに崩れてるだろう?」
「・・・・・負傷者の救出は?」
「店内には店員と客を含めて三百人はいたそうだが・・・・・ウィレムですら、原型を留めてないだろう」
「そうですか・・・・・」
店員も、そして来店していた客たちも、まさかあんなところで自分たちの命が消えることになるなどとは想像すらしなかっただろう。三百の命、三百の思い、三百の・・・・・
無意識にしかめていた顔を、タッカンは眼鏡に伸ばした手で隠した。
「しかし、昨日の倒壊事故はなんなんでしょうね」
ブリッジを押し上げながら拵えた能天気な顔で、冷えかかっていた残りの肉にかぶりついてみせる。
「よりによって逃げ込まれたあのデパートだけが綺麗に潰れるなんて」
「地震じゃないとすると・・・・・やっぱり、新聞の通り手抜き工事?」
「さあな。だけど調によると最近よく起こっているそうだ、同じような倒壊事故・・・・・昨日ので確か六件目だ」
ユーグ=ファンは新聞の見出しの脇。他の事故との関連性を指摘する記事の末尾を指し示していた。同じような倒壊の起きた建物を列挙しているものである。
「これ全部そうなんですか?たった二週間で六件・・・・・古い街ってことを考えに入れても、多すぎません?」
「お前もそう思ったか?私も調べたが・・・・・面白いことになっていてな」
続いて取り出したのはこの町のタウンマップだった。
「・・・・・見ろ、これらの建物はウィレムとはよくない関係にあったものばかりなんだよ。ここがウィレムの屋敷、ここが彼の事務所」
「・・・・・放射状」
「そうだ。だからといってどうなるかは知らないが」
「つまり、犯罪だと?」
「かもな。まあ、そこらへんは依頼には含まれていない。あとはお前さん方の仕事だ」
ユーグ=ファンは立ち上がると、勘定を手近のウェイトレスに支払って場を引き払う。
「じゃあな、また連絡する」
「気をつけて。ドルフ帝国が色々と画策していると聞きます」
「さあな。とりあえず、私はウィレムの屋敷に行ってみる。市街地のほぼ中央だ・・・・・臭いのは、やっぱりそこだろう?」
口元に笑みを浮かべたのを最後に、さっさとファンは身を翻した。敬虔な神父の禁欲的な表情を繕うと、律動的な歩調でレストランを後にする。遠ざかってゆく旧友の後姿を、神父はまぶしそうな顔で見送っていたが・・・・・
「凛々しいお方ですね・・・・・親友でいらっしゃいますか、神父様?」
「へ!?」
いきなり声をかけられ、タッカンは慌てて背後を振り返った。
静かに笑みかけていたのは、背後の席に座っていた一人の男だった。
いつからいたのだろう?喪服のようにきっちり着こなしたスーツと腰までもある長い黒髪、そして指の間には針のような細葉巻という特徴ある組み合わせにもかかわらず、全く気がつかなかった。タッカンはあたふたと会釈を返してみたものの、どうにも見覚えない顔だ。
「すみませんが・・・・・どこかでお会いしましたっけ?」
「ああ、失敬。いえ、お会いするのはこれが初めてです」
怜悧な顔に浮かべた知的な微笑はそのまま、スーツの青年は恭しく一礼した。
「実は、神父様の親友のお顔が知人によく似ていましてね。それでつい、馴れ馴れしい口をきいてしまいました。非礼は、どうかご容赦ください」
「はあ・・・・・観光客の方ですか?」
「いえ、仕事です。実は私、とある劇団の道具係りをやっているものなんですが、今度、この国の首都で興行をすることになりましてね。それで、本番前に大道具の調子をチェックしておこうと思って、この街に来たんです・・・・・ここは、気候や地形がそこによく似ていましてね。リハーサルにはうってつけだ」
「ははあ、なるほど」
巡回神父の薄い財布の中身では、観劇などに使っている余る金はない。タッカンとしてはただただ頷くしかなく、また相手もタッカンの不誠実さに特に機嫌を損ねる様子もなく、親しげに話を続けた。
「ときに神父様、さきほどのお方と話されていた内容、とても興味をそそられる内容でしたな・・・・・そう、最近の倒壊事故の犯罪説」
「いや、あんなのただの憶測ですよ。新聞の見出しにもあるでしょう?あれは建設会社の手抜き工事かも、って」
「事実かどうかはともかく、創作意欲は大変にそそられますよ。ただ、観客を納得させるトリックが必要ですね。爆発物を使わず、いかに狙った建築物を破壊するか・・・・・ただ、魔術でない事は明白ですね。あれほどの建物を一切の魔術の痕跡も残さずに崩すなど、聞いた事もありません」
青年は細葉巻を灰皿で叩いた。
「そうですね、神父様なら例えばどうされます?」
「え?ええと・・・・・外から遠距離魔術を撃ち込む、とか?」
「ふむ。しかし、こんなスプロール化した街中で、狙った建物に撃ち込めますか?」
「高い建物からなら・・・・・」
「なるほど・・・・・ですが、これをご覧いただけますか、タッカン神父?」
そう言って男が広げたのは、先ほどファンが置いていった一枚の地図だった。先ほど同様、事故がおきた現場の位置がマークされている。
「このサン・ラテラノの中央市街地には高い建物はありませんよ。倒壊したデパートならまだしも、せいぜい三階程度の建物から撃った程度では、狙撃は困難でしょう」
「・・・・・」
タッカンは地図を睨みつけた。
男の言う通りだ。確かにこのあたりのどこの建物からでも、六ヶ所を狙い撃ちするのは不可能である。
「いや、中心市街地とは限らないんじゃないですか?例えば、街郊外の・・・・・」
弾かれたようにタッカンは丘の下、人気の無い街の一角を振り返った。
そこは隔離地区と呼ばれていた。かつてこの町の中心でありながら、ドルフ帝国進軍によって破壊され、今はゴーストタウン化している一角である。そしてその中心に見える、無数の尖塔を寄せ集めたような、ひときわ巨大で、異様な建物は・・・・・
「あそこからなら、どこでも狙撃可能です!あ、しかし事故現場からは砲弾も魔術の痕跡なんかも見つからなかったはず。狙撃説は・・・・・え、ちょっと待ってください?貴方、なぜ私の名をご存知なんです?」
再度振り返ったタッカンの表情が不審げに変わった。
灰皿からは、紫煙が未だになびいている。
しかし、男の姿はどこにもなかった。