第18話:張り巡らされる罠

作:ファンファンさん


-From 17-
カノンから帰還して二日。
ファンファンは政務続きの疲れを癒そうとテラスに出ていた。アラニア制圧より約一ヶ月あまり、以前のように落ち着きを取り戻したアランの街は活気に溢れていた。
中央市街地にあったキリスト教の教会こそ邪神教のそれに移し替えられ、また主要な通りの所々に守衛役の兵士が立つ以外に目立った変化はない。ここのところは志願兵も増え、また民間の自治組織も各地で立ち上げたところだ。人頭税と消費税以外は一切課さず、また交通の要衝には必ずと言っていいほどあった通行料を納める料金所も全て撤廃し、自由な往来を可能としている。各地で市が立ち、物が街に溢れるのはよいことであった。
「以前には考えられぬことであったな・・・・・」
見ながら独りごちる彼の眼には、以前の王都・アランの姿があった。活気はあるにはあったが、より猥雑で余所者には厳しい土地柄であったのだ。それを邪神教の教えに従い、より平等で力のある者ならば身分問わず登用していく制度が民衆の心を掴んでいた。
物思いにふけるファンファンの目が急に鋭くなった。
「何用か」
誰に話しかけたものか。
相変わらず周りには誰も居ない。近衛騎士たちは部屋の前の待機所で番をしており、そこに声を届かせるには声量が無さすぎた。
それにも関わらず、返答が返ってきた。
「申し上げます」
いつの間に現れたのか?
ファンファンの背後には、喪服のようなダークスーツを一分の隙もなく着こなした紳士然とした青年が立っている。
「つい先程、ドルフ帝國内にて衛星砲のシステムが解読されました。“人形使い”からの報告では、次の目標は一時間後・・・・・このアラニアとのことです」
「・・・・・やはり、先程の空からの光は」
既に破滅までのカウントダウンが切られているというのに、ファンファンは少しも動じようとはしなかった。またそれに付き添うケンプファーも同じだ。
「我が君、今回はいかなることお考えですかな?」
ケンプファーの言葉に、ファンファンは口元にさも面白げな笑みを浮かべた。それを見て、ケンプファーは悟ったように頷く。
「左様でございますか・・・・・しかし、ドルフ帝國と申せば、我が君。最上様の方はいかがいたします?糾弾の矛先によっては、ドルフ帝國そのものを崩壊させることができるかと」
「わかっている」
五月蠅げに手を払うファンファンは、
「全ては邪神王様のために。ドルフ帝國はまだ生き延びてもらわねば困る。まだ、な」
「・・・・・なるほど」
なにをするか悟ったケンプファーは、深々と一礼した。
「わたくしと“我ら”は我が君、全てをあなたのために」


「いやあ、案外チョロい」
聞こえた声は涼やかだが、行為そのものは残虐極まりない。
暗い室内に漂うのはモニターの発光、そして鼻につく鉄錆びた臭いだ。
ドルフ帝國領内の某要塞地下。そこにかつて封印された衛星砲“アマテラス”の制御室が存在した。
「我が君にはある程度ドルフに打撃を与えろって言われたけど、これってある意味壊滅的・・・・・ボク、すごい働いてる気が」
一般に“プログラマー”と呼称される存在は大変貴重なものである。高度な文明を誇った時代から“大災厄”を経て、現在に至るまでにその文明は徐々に人々の記憶から薄れ、忘れられていった。その技術をサルベージし、いま現代に甦らせたドルフ帝國の技術力は高い水準にあるといってもいい。
ただ、作成する技術そのものは失われて久しいためにサルベージしたものをそのまま転用するしかない。つまりは数に限りがあるということ。そして難解な暗号とも言うべき数字・文字の乱数の羅列を理解することのできる“プログラマー”の存在は不可欠であった。
「とりあえず戦域確保・・・・・と」
まるでなんでもないように辺りを見回した青年は、顔をしかめた。
「あーあ、返り血がついちゃったよ・・・・・これで上にはあがれないしなあ」
未だに湯気でもあげていそうなほど新鮮な死体を軽々と五体作り上げた青年は、命を奪ってのけたことに少しも頓着せずに愚痴をこぼす。彼の着ていたのは床に転がる死体同様、ドルフ帝國技術士官を示すモスグリーンの軍服だ。彼の袖口にはべっとりと赤い液体がこびりつき、鉄の、血の臭いを放っている。
ここに入るまでには幾多のプロセスをクリアし、ある意味では苦労を、しかし本当の意味で任務の充実感と楽しみを覚えながら侵入してきた彼にとって、もはやまともに出ることがかなわぬとなるとげんなり来るものがあったらしい。
「まいったね。こうなったら“魔術師”のどこでもゲートで迎えに来てもらおうかなあ」
まるで水を零したように床にぶちまけられた血だまりの合間をつま先で避けながら、青年はメインコンピュータを探し当てていた。
「ビンゴ。これだね・・・・・てか真ん中だし?」
既に起動しているコンピュータのキーボードに素早く手を走らせる。
まるでピアノの奏者のように始めはゆっくりと滑らかに、しかしやがて鋭く打ち込む速度は先程の技術士官たちの比ではない。
「なるほど・・・・・最初の射爆はテイルダだったのかあ。地震が起きたのかと思ったよ」
くすり、と天使のように笑む彼の顔は秀麗と言って良いほど整っていた。
「でも、あれあれ?こんなことしていいのかなあ?」
楽しい玩具を弄ぶようにして画面に現れた数値を眺めると、青年の目がすっと細まった。
「世論的に言って各国の怒りを買うのは必死だよねえ。我が君もそれを予見していたけど、まったくその通りだ。楽しくなってきたねえ」
さらにキーボードを操作していくと、新たな攻撃目標が表示されていた。
「アラニア・・・・・駄目だよ、こんなところに落としちゃあ」
またも笑みを浮かべると、キーボードに指を走らせる。
「アラニア以外ならどこでもいんだけどね・・・・・折角だから、テイルダってとこにもう一発やっちゃおうかな?」
笑みを留める必要もない自分しかいない空間で、彼は笑声を微かに上げた。そして座標をセットし、射爆予定時間をアラニア射爆予定時刻と一致させる。
あと僅かに五分。それを待ってここを抜ければ自分の任務は終了だ。
そして、冷たい声が彼の耳に届いたのはそのときだ。
「そこまでです」
振り返る青年が目にしたのは黒い僧衣を纏った銀髪の男だ。胸には十字架。教皇庁に属する、典型的な巡回神父の出で立ちである。
「へえ?こんなところにまで布教にいらっしゃったんですか、神父様?」
冷笑とともに青年は神父を迎えた。ただ、手だけはまるで独立した生き物であるかのようにキーボードを叩き続ける。
「その手を離しなさい、と言っているんです!」
鋭い語調とともに旧式回転拳銃の銃口を青年に向け、神父はさらに言う。
「あなたには既に五十一件の殺人未遂と三十件の殺人罪と十五件の器物損壊、及び十二件の公務執行妨害の罪があります!大人しく両手を上にあげて投降なさい!」
「相変わらず、神父様は物騒な物をもってらっしゃる・・・・・サルベージされる品の中でも、銃器の類はかなりの稀少品なはずですよ?」
「・・・・・これはわたくしが以前から所有していたもの。あなたにどうこう口を挟む権利はありません」
「おっと、これは失敬」
遊ぶ口調はそのままで、立ち上がった青年は背後に回した手で最後にエンターキーを押し込んだ。画面には「認証コード入力」の文字。
「時間は稼いだし、あとはボクが出てくだけですよ。ご安心下さい」
すでに自分の知るコード以外では起動しなくなったコンピュータを脇目で見下ろしてほくそ笑む青年に、銀髪の神父はなおもくいすがる。
「今すぐコードを解除なさい!それは動かしてはならない兵器です!」
「へえ?いかにも貴方はこれをなにであるか知っている・・・・・そんな口振りですね」
「黙りなさい。貴方の命は、私にかかっているという点をお忘れなく」
「よろしいんですか?そんな無駄話を・・・・・」
弦月に歪む青年の口元を見た瞬間、僧衣の男の顔色が蒼白に変わった。
「ほら、いま」
瞬間、地面が鳴動した。射爆地点が国境線近くのせいもあって、この国境に近い要塞でも相当な揺れを感じている。
長い間使われなかった部屋の埃が一斉に舞い、そして宙に浮かんだ。
「甘いんですよ。あなたは相変わらず」
一瞬にして数千から数万の命を奪ってのけた男の言う台詞ではなかった。
蒼白のまま動かなくなった僧衣の男の脇を、青年は苦もなく通り過ぎる。
「ああ、ボクの名前くらいはそろそろ教えてさしあげないとね。この間イザークにもこってり言われたし」
視線すら向いていない神父の横顔を見ながら、青年は優雅に一礼する。
「ボクはディートリッヒ。ディートリッヒ・フォン・ローエングリューン・・・・・よろしく、タッカン神父」
ふっ、と青年が笑みを浮かべた直後、タッカンと呼ばれた銀髪の神父は行動を開始している。
「ふっ!」
ファニング・・・・・回転式拳銃の撃鉄を射撃と同時に上げる高等テクニックだ。機関銃にも匹敵する速度で放たれた六発の弾丸は青年を穿った。
ただし、影だけを。
「遅いよ、イザーク」
声をあげたときには、すでにディートリッヒの身体は半分ほど床に浸かっていた。闇に、正しくは影に沈みつつ、彼は笑声を含みながら言った。
「今日はこれでオシマイ。またどこかで会いましょう、神父様」
天使のような、その実、悪魔のような笑みを浮かべた秀麗な容貌の青年は床に完全に没した。その後、階上で騒ぐドルフ兵たちの声を耳にしても尚、タッカンの心は晴れなかった。
暗い室内で響く嗚咽を含んだ微かな息づかいが、慟哭のように木霊した。

-To 月の魔神、白銀の牙…-

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